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面白い乗り物

年末撮影大会のメンバー入りを果たしたMさん。先日24日、今度は多摩湖サイクリングにも初挑戦。なんともアクティブなことである。Mさん曰く、自転車は健康回復のために始めたそうで、ゆくゆくは体を慣らし、片道20キロの通勤に使うそうだ。
最近私の周りでは自転車を始める人が目立つ。そのきっかけを訊くと、皆口をそろえて「運動不足解消」「ダイエット」と、健康目的の理由を話す。2年半前、そう言う私も加齢と共に上昇する血圧を憂慮し、総合的な成人病対策として、それまでの通勤の足だったバイクを思い切って自転車へとスイッチしたのだ。
自宅から店までは7km程の道程。慣れてくると通勤にはちょうど良い距離ではないだろうか。それでも最初の頃は多少シンドイ感じもしたが、なんと2週間も経つと確実に体は順応していくのだ。所要時間が25分程と短いのも馴染み易い要因だろうが、更に1ヶ月程続けていくと、嬉しいことに心肺機能と脚力が自覚できる位に向上! これには感激する。
体力に余裕が出てくると、自転車は急速に面白い“乗り物”へと変わっていく。ペダルを漕ぐと、すーっと前へと突き進む小気味よさは、オートバイでは決して味わえない快感であり、“風を切って走る”という形容は、正しく自転車に与えられた表現だろう。
更に使い続けていると、「もっと楽に漕げないだろうか」、「もっとスピーディーに走れないだろうか」等、素朴な疑問と同時に欲も出てくる。これも自転車が単なる通勤の足から“乗り物”として意識された特徴的なポイントなのだ。

  1. 2008/01/30(水) 08:20:52|
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デニーズ時代 その8

new_dennys

生理的にも好かない奴だったが、とにかくY木は毎日溌剌と仕事をしていた。この点については素直に感心する。UMITへ昇進したばかりだから、とにかく張り切っているのだろうが、彼の生き生きとした姿を見ていると、一日でも早くマネージャー職に就きたいとさえ思ってしまう。
ある日そのY木がニヤケ顔を更に増しながら話しかけてきた。

――― 今夜一緒に飯でも食おうぜ。

なに?! Y木の奴、一体何を企んでいるのだろう。しかし今となっては上司に当たる人間なので、彼の誘いとならばそう無下には断れない。もちろん気は進まなかったが、どんな話をしてくるかにも興味があったから、一応表面上では快諾した。

Y木が指定したレストランは、五日市街道沿いにある『マ・メゾン』。この界隈ではアベック御用達で通っている、とてもお洒落なレストランだ。特にチーズケーキは上品な味わいがあって評判がいいようだ。よって男二人で行くには多少微妙な感じがしないでもない。Y木の奴、ずいぶんと顔に似合わないところを知っている。

――― 俺がさUMでさ、お前がUMITでさ、やってみたいよな。

奴さん、席に着くといきなり始めやがった。
バカ言ってんじゃない。それは私が最も避けたいパターンなのだ。若しもそれが現実になったら、また転勤願いを出すことになる。何とまあ人の心を無視したDelicacyの欠片もない発言だろう。大体己の望むことを他人が早々に同調するわけがない。言っちゃ悪いが、Y木は人を使えない典型的な男だ。
奴の部下になる前に、いち早くUMにならなければ…。
これを機にマネージャー試験を強く意識するようになり、早速S根UMへもその旨を強力に働きかけた。

現在は定かではないが、当時デニーズの昇進パターンには決められた段階性があった。そして急速な出店ペースの煽りを受け、意欲がある者に対しては容易な後押しがあったように思う。
先ずは直属UMの推薦を貰って初めて受験のできる<マネージャー試験>でスタートだ。
これに合格すると担当職からの脱却が果たせ、新卒憧れのユニフォーム「赤ジャケ」を身にまとい、意気揚々とユニット・マネージャー・イン・トレーニング(UMIT)の職に就けるのだ。UMITはマネージャーの見習い職ではあるが、UMと共に、キッチン、フロント、バックヤードと、店全体の指揮を取っていく、重要な仕事を任される。
UMITでの実績を積み重ね、同時に運営・管理の手法を大凡マスターしたことが認められると、アシスタント・マネージャー(AM)への昇級チャンスがやってくる。因みにAMとは副店長のことである。
そしてAMは、UMITの数段上を行く“憧れポジション”だ。その意味合いは、UMITの赤ジャケからUM、つまり店長と同じ「黄ジャケ」を羽織れることに尽きる。この黄色のジャケットは基本的に母体であるイトーヨーカ堂のマネージャー職が身に付けるものと同様のものであり、デニーズ内部でも、ディストリクト・マネージャー(DM)、リージョナル・マネージャー(RM)など、幹部社員共通のユニフォームになっている。よって担当職からしてみれば、まさにステータスシンボルそのものとなっている。私もうなされるほどに着ジャケへの憧れが強かったことを覚えている。

AM時代に着実な評価を残せば、UMへの道が開かれる。
UMは名実共に店の頂点職であり、就任と同時に最高責任者としての責務を背負う。そしてその責務は堪らなく重いものだ。AMまでの評価は「仕事振り」や「人物評価」レベルで留まるが、当然の如くUMの評価は全て数字で行われる。例えAM職までは輝かしい評価と共に駆け上がってきた者でも、UMとなり店を任された後、肝心な売り上げを連続して落とそうものなら、確実に底辺送りとなり、出世レースからは完全に除外されてしまう。自分の事も含め、本当に多くの左遷を見てきたのだ。
しかし息つく暇もない重責を乗り越え続け、更に有無を言わせない数字を挙げられれば、その先には終に非組合員となるDM職が待っているのである。

S根UM及びH間DMの推薦をいただき、めでたくマネージャー試験に合格できたのは、立川店に配属されてから4ヶ月後のことであった。
その後晴れてUMITに登用され、配属されたのは、立川店よりはずっと自宅に程近い田無店だった。
マネージャー職の仕事が明日から始まると思うと、初出勤の前夜は本当に寝付かれないほど興奮したものだ。
そうそう、私が立川店を離れる数週間前に、あのY木にも辞令が出ていて、何と新店のAMに抜擢されていたのだ。このニュースは、ちょっと悔しかった。

その頃から東京都心部への出店計画に拍車が掛かってきて、オープンした店は何処も凄まじい売上げを見せていた。時はまさにファミレス黄金時代真っ只中であり、Y木が赴いた目黒の碑文谷店も例外には漏れず、それは壮絶と言ってもいいほどの売上げを記録し続けたのである。
唯この碑文谷店だが、現在のデニーズジャパン公式サイト内で店舗検索をしても店名が出てこないのだ。恐らく閉店したのだとは思うが、あれだけの繁忙店に一体どの様な経緯があったのだろう。

今から思へば、あのY木もかわいそうな男だったかもしれない。
激しい開店ラッシュは、店やスタッフ達に想像以上のストレスを与え、モラル高き社員達からは尽くやる気を奪い取り、店のCSは急速に低下していったのである。こんな酷い状況を目の前にしても、デニーズ本部はお茶濁しの単発的対処療法しか施そうとせず、それが為にパート・アルバイトの育成スケジュールに大きな歯止めが掛かってしまい、慢性的な人手不足は社員の長時間労働によって穴埋めされるという、もはや現況は最悪の一途を辿っていったのである。
社員にとってこれは実に辛いことであった。
デイシフト(6:30~15:30)のマネージャーは、ほぼ毎日モーニング、ランチ、ディナーの3ピークをこなすことが常態化されていたし、帰り際だって、山のように積み上げられた洗い物を横目で見ては通れない状況が続いていた。肝心な睡眠時間に至っては、1日3~4時間取ることができれば御の字の世界となっていた。
私も新天地・田無店では慣れない仕事の連続で余裕は殆どない状態にあった。だから当然Y木のことは意識の外だった。そんなある日、同僚との会話の中から、碑文谷店に“Y木がいない”ことを知ったのだ。

――― あいつ、辞めちゃったのかな。

どうでもいい奴だったが、会社から居なくなったことが分かると何ともいえない裏寂しさを覚えた。そしてその裏寂しさが、自分の将来へ対する不安に思えてならず、毎日は忙しくも楽しかったが、胸を圧迫する重苦しさが絶えず付きまとうようになっていた。ストレスが日に日に蓄積していく様が、なんとも不安でしょうがなかった。

To be continued.

  1. 2008/01/22(火) 08:29:33|
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デイトレーディング

株式投資を始めて早20年。近年になり売買単位の自由度が増したこと、そして取引の主流がネットトレーディングへと移行したことが、趣味としての妙味を膨れ上がらせたと感じている。
特にネットがもたらしたデイトレーディングは、株式投資従来の概念であった“財テク”という重々しい雰囲気を一蹴させ、よりゲームに近いスピーディーな感覚を生み出し、飽くことのない日々の刺激へと変化させた。特に動きの良い銘柄を持ったときは、毎夜PCを開いて翌日のスタート準備に余念がなくなるほどだ。
私の場合、投資はポケットマネーの範疇で行う“遊びレベル”は逸脱していない。況してや証券会社から資金を借りるなどという暴挙とは無縁の世界だ。よって投資金はあくまでもゲーム参加料と捉えている。

さて、最近その株遊びの中で、極めて面白い会社を見つけてしまった。とにかく株価の上がり下がりが怖いほど激しいのである。その状況は、ずばり“七転び八起き”。2週間ほどのサイクルでも、その株価はかなりな変動を見せる。しかもその山は限りなく正弦波に近い形をしており、株で一番大事な売り買いのタイミングを容易に掴むことができるのだ。
昨日(1/16)も冷や汗が出るほど下げてしまったが、恐らくここ一週間で大幅に戻してくると思われる。
実に楽しみだ。

  1. 2008/01/17(木) 10:39:35|
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感触

昨年秋に開催した一泊二日のショップツーリング。二日目の朝、宿泊したホテルの駐車場で参加者全員の集合写真を撮った。後日プリントアウトして店内に飾るわけだが、こんな作業は仕事と言っても楽しいものだ。唯、20坪以上ある店内に写真を掲示する場合、A4クラス程度では殆ど目に留まらない位小さく感じてしまうので、アドビ・Illustratorの持つ分割印刷機能を使い、A3の倍の大きさ、つまりA2まで引き伸ばしてみた。プリンターはキヤノンのモノクロレーザー。写真印刷には不向きと思われがちな機種だが、これが中々どうして、味わい深い画を吐き出してくるから驚きだ。
使ったカメラはCoolPix5000。A3までの補間ならびくともしないデータを誇るが、A2となった場合どれ程の仕上がりになるかが興味深かった。
Illustratorの印刷ボタンを押すと、非常に短いインターバルでA3用紙2枚がプリンターの中へ吸い込まれていく。さすがレーザーである。これがインクジェットならば、ここからとてつもない時間を費やする。

――― ふむふむ、なるほど。

出てきた写真は予想以上の解像感を放っていた。2/3 型 CCD (有効画素数 5.0メガピクセル)でも、ここまでのプリントが可能なのだと改めて感心すると同時に、これ以上の画素数を持つ機種は一体どの様に使いこなせばベストなのか、単純な疑問が残ってしまう。
A2 /500万画素でこれだけ楽しめるとなると、カメラボディーに求める最たるポイントは、総合的な撮影性能が在って得られる、撮る時の“感触”に集中するのではないだろうか。D1の快感極まる使用感はその良い例だ。この感触を得るためだけに、D100/600万画素が主流だった当時、わざわざ264万画素のD1を購入したのだ。

Newフォーマット『Two Squares』の記念すべき第1回目では、その撮影全てにD1を使った。
Imaginationの沸き立つままにシャッターを下ろすその楽しさは、やはりD100では到底味わえないレベルに在った。

  1. 2008/01/10(木) 18:11:01|
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Two Squares

また新しい年がスタートした。
昨年末の恒例撮影大会は盛況に終わり、新年初っ端のイベントである浅草寺への初詣もしっかりと片付け、更にはHPの更新作業も順調に進み、非常に充実度の高い年末年始休暇を過ごしているところだ。
まあ、年末ジャンボが当たらなかったことだけは残念でしょうがないが、家族全員が何事もなく元気に年を越せたことは、真摯に感謝しなければならないことだと思う。何事に対峙してもこの気持ちは忘れるべからずだ。
さて2007年年末撮影大会では再び名機D1のすばらしさを堪能したわけだが、ここで痛感したことはやはり“本物の良さ”だろう。確かに重いボディーを肩から提げてベイエリアを延々と歩くのは少々辛いことだが、いざ撮影となれば、普及機では絶対に味わうことのできないそのシャープなレスポンスに、ランク違いの凄さを認めざるを得ない。これは機械的信頼感に他ならず、撮影に集中できる最大のFactorでもある。私流に言い換えると、完璧に磨ぎ上げた杉本の牛刀でキャベツを切る感覚に似ている。共通項は無論“快感”。やはり快感無くして趣味は成り立たないのだ。
新しいフォーマット・Two Squaresでその快感を篤とご覧あれ。

  1. 2008/01/03(木) 22:50:23|
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