2ヶ月ほど前よりロックの様子が徐々におかしくなってきた。
事の始まりは、抱き上げた時たまに「キャン」と鳴くようになったこと、そして椅子の上に軽々と飛び乗る元気な奴だったのに、僅か15cmほどの段差の乗り降りを躊躇するようになったこと、更には飯より好きな散歩に行きたがらなくなったこと等が続き、これは只事でないと慌てたのである。
ネットを使って諸症状を検索していくうちに、
椎間板ヘルニアという病名が大きくクローズアップしてきたのだ。同様に書店で犬の本を山ほど立ち読みしても、悲しくなるほどロックの症状は
椎間板ヘルニアに当てはまっていく。この先は素人の我々が思案してもどうしようもないので、とにかく掛かりつけの動物病院・S先生に診てもらうことにした。
触診した所見は、
――― 確実に
椎間板ヘルニアとは言い切れませんね。
ん? それでは一体何?!
触診では判断に限界があり、この様な症状にはやはりレントゲン検査が最終的には必要らしい。
唯、動物は人間と違い“動く”から、そう簡単にはレントゲン撮影が行えない。よって全身麻酔ができる高度な検査設備の整ったところでなければ事実上不可能という。
――― 一般的な腰痛ということもあり得るので、今回は痛み止めの注射をしときましょう。
なるほど。人間だって腰痛はよくあることだし、実際私も時々痛むことがある。

ロックにとってこの痛み止めの注射は何よりの効果があったのだろう。打って暫くたつと魔法のように元の元気を取り戻し、尻尾を振りながら家の中を縦横無尽に歩き始めたのだ。ということは本当に痛かったのであろう。実にかわいそうだ。痛み止めの効果があるうちに腰痛が少しでも治まってくれればと願った。
しかしだ、1週間経つとまた元気のないロックに戻ってしまったのである。
とりあえずS先生に相談すると、効き目はちょっと落ちるかもしれないが、ステロイド系ではなく比較的長期に亘って使える痛み止めで様子を見ようといわれる。従ってはみたが、その薬の効果は薄く、ロックは日に日に元気がなくなっていくのだ。
そんなある日、突然極端なびっこをひくようになり、慌てて足全体を調べてみると、何と右前足の肉球が痛々しく腫れ上がっているのを発見。尋常ではないものを感じ、女房と討議の結果、S先生ではなく、今年の初めに皮膚病でお世話になった、調布市のASCどうぶつ皮膚病センターで再度診てもらうことにした。ここに勤務するM先生は、論理的なことを分かり易く説明してくれ、飼い主としては非常に安心感を覚えるのだ。
ロックが奥の診察室に連れて行かれた後、待合室で暫し待機しているとM先生に呼ばれた。
――― ん〜、肉球も腫れていますし、歩き方も変ですね。
現況の説明が始まった。
――― ちょっとした神経のテストをしてみましたが、左後ろ足の反応がちょっと変かな。腰周りの噛み痕も、違和感あってのことかもしれませんね。できれば一度神経科の先生に診てもらった方がいいと思います。
この病院は皮膚科専門であるが、毎週火曜日には神経科の先生がやってくるのだという。一日でも早く解決したいという気持ちから、迷わず翌週の火曜日に予約を取ったのである。
予約した午後4時半に病院へ行くと、Aさんという一見してベテランの先生が現れた。神経専門ということだ。奥の診察室でこまかくロックを診終わった後、M先生と同様に、分かり易く診断の内容を説明してくれた。
――― ヘルニアかどうかは分かりませんが、背骨の一部にはっきりと痛がるところがありますね。
待合室にいるとき、「キャン」というロックの泣き声を3回聞いたのだが、それが今指摘したところを押した際のものだという。
――― 少々料金が掛かりますが、MRIの検査をしてみたらいかがでしょうか。
ほほー、犬にもMRIがあるんだ。
――― 料金は大凡80,000円弱ですが、はっきりと患部を確認することができます。
いい値段だ。しかし今のロックのことを考えたら躊躇などしていられない。すぐに手配をしてもらいたいと伝えると、練馬の
キャミックという検査施設を教えられた。そこは検査だけを専門に行うところだが、色々な獣医関係者とのネットワークがあるということだ。これでやっと治療の方向性が定まったように思うし、何気に光も見えてきた。
練馬の春日町にある
キャミックでは、Y先生という女医さんが担当になった。ぐずるロックを娘と二人掛りで連れてきたのだ。
MRIについての簡単な説明があり、その後検査への承諾書にサインをすると、ロックを先生に預けて一旦
キャミックを出ることにした。何故なら検査には大凡1時間から長くて2時間ほどかかるからだ。
キャミックからは目と鼻の先である、春日町交番前のバーミヤンで時間をつぶすことにした。
それにしても自分の日常には全く縁のない土地で食事をするというのは何とも妙な気分であり、23区内とは言っても、JR沿線ではない駅前はローカル感が否めなく、これも妙な気分を増幅している一因なのだろう。
1時間後に戻ったとき、ちょうど検査が終って麻酔から醒めるのを待っているところだった。
――― それではちょっとご説明します。
診察室からお呼びがかかった。既に先ほど撮ったばかりのMRIの写真が数枚シャーカステンに貼り付けてある。
――― 僅かに圧迫していると思われる箇所はありますが、手術が必要なレベルではないでしょう。
なに!? それじゃ今現在のロックの症状は一体何によるものなんだ?
実際かなり痛がっているようにみえるが…。
――― ロックちゃんがどのくらい痛むかはあくまでも推測です。犬はしゃべれませんからね。
この結果は嬉しさ半分である。これから先はMRIの結果をA先生に見せて判断してもらうしかないだろう。一旦は先が見えたと思ったが、これはある意味“振り出しに戻れ”だ。
脇で横たわるロックが不憫でならない。
- 2007/09/27(木) 19:46:39|
- 日記|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0
ついに辞意を表明した安倍晋三総理大臣。元々実力がないのか、それともツキから大きく見放されたのか、いずれにせよ何とも情けない展開となった。
スタートは比較的順調だったように記憶しているが、肝心なその後が悲しくなるほどボロボロになる。本来なら堅牢な屋台骨を形成し、首相を完璧にサポートしていく筈の閣僚が、驚くことに一人また一人と膿を噴出しながら自滅していくのだ。開いた口が塞がらないとは正にこのことだ。
平成18年9月:安倍内閣発足。
平成18年12月:本間正明税制調査会長が、官舎への不適切入居問題で辞任。1週間後、佐田玄一郎行政改革担当相が、政治資金問題で辞任。
平成19年1月:松岡利勝農相の事務所費問題が浮上。続いて柳沢泊夫厚生労働相が、女性を『産む機械』と発言してしまう。
この後表面的には暫し波風は立たなかったが、平成19年5月28日、松尾農相が自殺するという大事件が起こる。翌6月には教育改革関連三法が成立するが、世論では社保庁の不祥事が大きくクローズアップし、既に“教育”どころではなくなってしまう。
平成19年7月:久間章生防衛相が、『原爆投下はしょうがない』発言で辞任する羽目に。続いて赤城徳彦農相の事務所費問題が表面化。そしてこの後、安倍体制及び自民党に於て、正に致命的といえる大事件が勃発するのだ。
7月29日:第21回参院選にて自民党は37議席と歴史的惨敗を記す。自民党終焉の風が吹き荒れ、このタイミングに辞意を表明するのではないかと危惧された安部総理であるが、なんと満身創痍での続投となったのだ。
平成19年8月:赤城農相辞任。この後気持ち新たに内閣改造へと踏み切るが、悲しいかな不祥事に歯止めは掛からない。
平成19年9月:新内閣の農相である遠藤武彦が、補助金不正受給で辞任することになる。
まだまだ続く!
9月5日、鴨下一郎環境相の政治資金収支報告書に『誤記』が判明。更に上川洋子担当相も記入漏れが発覚。
起死回生の新内閣が、発足と同時にこのありさまでは、いかに一国の当主といえども、そのダメージは計り知れぬものがあっただろう。そして1週間後、ついに総理の辞任表明となる。
どんなに優秀な経営者がいたとしても、彼一人でやれることは高が知れている。BIGビジネスを行う為には、何よりTOPを支えるスタッフの尽力が不可欠だ。政治も然り。安倍さんの行った組閣は、組織作りの基本を軽視したお遊び程度のものであり、また、それが為に自滅してしまったのだ。安倍さん並びに自民党幹部は、閣僚の適材性やチームワークをどれだけ真剣且つ周到に考えただろうか。国を憂い、組織を憂い、そして総理を憂い…。
よくよく考えると与党自民党は本当に情けない連中の集団かもしれない。
政権を握る立場をどの様に解釈しているのだろう?!
果たしてやる気はあるのか?!
もうすぐ決まる新内閣への期待感が全く湧いてこないのもこの様な経緯を具に見てきたからだ。
- 2007/09/17(月) 08:14:02|
- 日記|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0
口の中を噛んでできた傷が酷い口内炎と化した。今回は元の傷口がかなり大きかったので、当然口内炎もそれ相当の大きさとなり、痛みは顎にまでも広がる重度なものになった。熱いコーヒーや味噌汁などは一滴たりとも受け付けず、味の濃いものや辛いものは咀嚼するのも侭ならなかった。
いつもは放っておけば知らずに治ってしまうのだが、今回は早急な処置が必要と判断、早速取って置きの薬2種類を用意した。それは合成副腎皮質ホルモン剤である『ケナログ軟膏』と、知っている人も多いエーザイのビタミンB2剤『チョコラBB』だ。この2つの薬の同時使用は極めて効果的であり、寧ろ少々怖くなるほど症状をスピーディーに改善してくれる。
ケナログは傷を治すというより、ずばり痛みを和らげてくれる。塗った瞬間から効き目が出るからびっくりだ。今回のレベルに対しては1日5〜6回の使用が適当だろう。痛みでイライラしている時などは大いに助かる。
チョコラBBの主成分であるビタミンB2は皮膚の疾病に対し有効。特に粘膜には顕著な効き目を見せるという。効能書きを読むと、「肌あれ、にきび、口内炎…」と、口内炎が3番目に記載されている。
ケナログ5g:740円、チョコラBBプラス 60錠入り:1,440円。これで辛さからもさよならだ。
ちょっと調べてみたのだが、そもそも口内炎が発症する原因は特定できないらしく、世間ではビタミン不足、ストレス、口内環境、体質等々と言われているが、恐らく複数の要素が絡み合ってできてしまうのだろう。
- 2007/09/12(水) 08:15:30|
- おすすめ|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0
店の駐車場へ着いても、すぐに車から降りられない。分かってはいるが気が重すぎた。よくよく考えた上での判断だが、土壇場へ来ても気持ちは揺れに揺れている。

意を決し入口のドアを開けると、
――― おはよーございます。
フロントにいたMDから明るく爽やかなグリーティングが投げかけられた。瞬間、自分だけが悩みの殻に閉じこもる負け犬で、周囲の健全な世界からは凄く遠いところに来てしまったことを痛感したのだ。なんとも情けない…。
ウェイトレスステーションの脇を通ると、既にRMは3番ステーションで待っていた。
徐に近づくと、先ずは昨日の一件を店長以下店のスタッフへ謝罪したいとの旨を伝え、バックヤードへ入った。キッチンを覗くと、Iさんが一人黙々とプリパレ(仕込み)を行っている。
私を見とめると、いつもの笑顔で、
――― どーしたのよ、昨日は。
平身低頭する。
――― マネージャーは銀行だから、RMと良く話をしてきな。
深々と頭を下げ、そのまま踵を返した。Iさんの優しい心遣いが、更に気の重さを増幅させたようだ。
――― 電話で概略は聞いたけど、君の気持ちは変わらないのか。
もう一度偽りのない今の気持ちを伝え、特に労働環境の酷さをぶちまけるように話してみた。
埼玉エリアは次から次へと出店が続き、新入社員は単なる道具として劣悪な環境をたらい回しにされているのは明白な事実なのだ。この点について地区の最高責任者であるRMの説明を聞きたかった。
――― 東京へ戻るか。
えっ?! 突然RMが放った言葉の意味が分からなかった。己を落ち着かせ、冷静になろうとした。東京は地元だし、埼玉と較べれば今のところの出店ペースは落ち着いている。よって仕事もじっくりとできるし、マネージャーの勉強もやり易い環境にあるのではないだろうか。決して悪くない条件だ。東京でもう一度一から出直せる…。
透かさずいつから戻してくれるのかと訊き返すと、
――― 2週間もあれば引継ぎができるだろう。
この言葉には自分でも驚くほどに反応し、咄嗟に口から出てきたのは、
――― お願いしたいのですが。
心の中では、してやったり!と拳を挙げていた。東京地区のどこへ飛ばされるかは定かでないが、現況より仕事らしい仕事ができることは確かであろう。地元で腰を据えてやれるのは願ってもないことだし、潜在的にはいつもそう望んでいた。Iさんやアルバイトの面々には後ろめたい気持ちでいっぱいだったが、このチャンスには是非とも飛びついてやろうと即断したのである。
そしてこの東京行きが、今後の
デニーズ生活の方向を決めてしまう、とても重要なターニングポイントになっていたのである。
――― 異動先は「立川」だ。
数日後、他地区から赴任してきた新UMのSさんにそう言われた。
あの“ひんしゅく店長”であるSUは、なんと埼玉エリア内の新店店長に抜擢され、それに伴う人事異動が急遽行われたのである。最後まで好きになれなかったギョロ目のSUではあるが、改めて彼も会社の道具なのだと認識すると、一方的だが急に距離が縮まったように思えた。サラリーマンは気楽な稼業とは一概に言えないかもしれない。
――― なんでこんなところに建てたのだろう。
立川店は首を傾げたくなるような場所にあった。初めて訪れた時など、五日市街道から一本南へ入ったマイナーな道沿いに忽然と建っていた同店を、不思議なものを見るような目で見てしまったほどだ。恐らく当時は、“知る人ぞ知る的な店”だったに違いない。
ここのマネージャーはS根さん。高卒のクック上がりで、ノンキャリの星とまで言われている切れ者UMだ。彼からは徹底的にSA(サービスアシスタント=ウェイター)の仕事を教わった。目配り、気配り、ご案内などの基本から、MDの基本教育のイロハまでを体系的且つ短期間に詰め込まれていったのである。
新しい知識は己を貪欲にさせ、仕事への積極性は日ごと増大していった。同じ
デニーズでも浦和太田窪店とは別世界であり、そこで大いに張り切る自分を見つけたのである。
立川店はアルバイトスタッフが十二分に揃っていた。キッチン、フロント、バックヤードが夫々にバランスよく配置されていて、S根UMによるマネージメント能力の高さが窺えた。皆安心して仕事をしているし、何より職場から笑顔が絶えない。これは接客サービス業の基本であり、絶えず追及しなければならない重要なポイントだ。
大凡順風満帆だった立川時代ではあったが、ちょっとしたエピソードもあった。
出勤初日。ちょっとドキドキしながらも元気に挨拶しバックヤードへ入っていくと、背後からいきなり声をかけられたのだ。
――― ひさしぶり!
振り向くと、そこにいたのは小金井北店時代に少しだけ一緒に仕事をしたY木だった。彼は私より歳は上だったが、中途入社してきて、まがいなりにもクックの仕事を教えてあげた“初の後輩”なのである。そのY木がネクタイをきりりと締め、赤いジャケットを身に纏っているではないか。つまりUMITである。後輩には違いないが、今では階級を逆転され上司となってしまったのだ。
くっ、先を越された! やっぱり東京地区はいい。ちゃんとした昇進のチャンスがあるのだから。万年二等兵で常に最前線へ送り込まれる埼玉とは大違いだ。
取りあえずこれからもよろしくと丁寧に挨拶すると、
――― まあ、頑張ってくれよ。
狐づらのY木は、言葉尻に明らかに“勝ち”を含んだ一声を、一応先輩社員の私に返してきたのである。
この時のことは今でもはっきりと覚えている。悔しいというか、ムカつくというか、とにかく嫌な思いをしたことは確かだ。しかし若かった私はパワルフだった。その屈辱感をバネにして、猛然と仕事をし勉強をしたのだ。
そして目標を立てた。
<近い将来、必ずY木を顎で使ってやる!>と。
To be continued.
- 2007/09/06(木) 21:32:50|
- デニーズ時代|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0