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デニーズ時代 その1

――― 今の自分を形成した源には、やはりデニーズ時代に会得したノウハウが数多く影響していると思う。
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突然意味不明な話が始まったが、何故か最近不思議とその頃を思い起こしてみたくなったのだ。
会社人としては真新と言える自分に、日々降り注ぐ新しい経験とOJT。辛さ半分興味半分の微妙な精神状態ではあったが、変わっていく己がはっきりと認識できるところが面白く、店長見習いに昇進する頃からは<仕事をする醍醐味>さえも少しずつ理解できるようになったのだ。

―――組織とは、管理とは、従業員教育とは、リーダーシップとは。
言葉を羅列するのは簡単だ。しかもこの手を解説するリファレンスブックは星の数ほど出版されている。流行の経営コンサルタントによる勉強会でも良く掲げられる題材といえる。しかしこれらを実行レベルで身に付けるとなると、そう簡単にはいかないのが現実だろう。何故ならば、人と人とが複雑に絡み合う組織内に於ては、トライ&エラーの回数こそが全てであって、そこから得られる“分かった事”の積み重ねこそが唯一真の会得への推進力となる。

在籍していた9年間は実によく働いた。小間使いマンであるバスヘルプからスタートして、クック(コックのこと)、ミスターデニーズ(ウェイターのこと)、UMIT(店長見習い)、AM(副店長)、UM(店長)と順調に役職は上がっていった。その過程は正に試行錯誤の連続であり、上司から雷の如く叱咤されたことも1度や2度では済まない。何度か退職も考えたが、反面楽しいことや仕事で充実する瞬間も意外と多く、山あり谷ありとはこんな事なのだと自分を無理やり納得させて凌ぎ続けてきたのかもしれない。
そして兵庫県西宮市で新店をオープンさせたのがデニーズ時代最後の幕となる。

初の社会生活が始まるということで、入社当時は相当に気合が入っていたように記憶している。
――― 仕事、マスターするぞぉ!
と、こんな感じか。
新入社員研修を代々木オリンピックセンターで行った後、最初に配属されたのは五日市街道沿いにある「小金井北店」。営業時間帯は当時一般的であった7:00~23:00で、店舗は内外観共々アメリカンムードたっぷりの超個性派。
一見神経質そうに見えて、やはり神経質なK店長の元、晴れてデニーズ生活がスタートしたのだ。

見ること聞くことやること全てが目新しく、正直なところ毎日はとても楽しかった。
スタッフの殆どが自分と歳の近い学生アルバイト達で、しかもその半数以上が女性という笑みがこぼれる職場環境。MD(ウェイトレス)、DL(ご案内係)の主力は当然女子高生・女子大生で固められており、店内はいつも華やかこの上ないのだ。
平日ランチタイムの主婦MDも皆若々しい人達ばかりで、急激に混雑するランチピークでもそのテキパキとした仕事振りで気持ち良くこなしていく。
単純な私は、入社数日目で
――― なんていい会社に入ったんだ!
と思い始める。
バスヘルプを約1ヶ月間行った後、以前からとても興味のあったクックに登用された。
上下に白衣をまとい、腰にきりりとエプロンを締める。真っ赤なスカーフを首に巻き、ぱりっと糊の利いたクック帽を目深に被る。バックヤードにある姿見に己を映してみると、
――― 決まってるぅ〜
新人クックの勤務シフトは基本的に早番(6:30~15:30)と遅番(14:30~23:30)の二つがあり、先ずは夫々が持つ特徴的な仕事をいち早く覚えていかなければならなかった。

続く。
  1. 2006/12/22(金) 16:53:35|
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美しい日本

末恐ろしいニュースが入ってきた。国の財源確保のために、軽度難病の医療保障を撤廃するという。
例を挙げていた病名はパーキンソン病と潰瘍性大腸炎だ。
それにしてもこんな馬鹿げた話はない。政府の管理が全くなっていないが為に政治家や役人が我々の血税を我が物のように浪費しているのは周知のこと。こんな現況を野放しにしておきながら、片や病気で苦しんでいる人達から最低生活をむしり取るという、正に蛮行を法令化しようとする国の動きは完全に常軌を逸している。そもそも難病の一つである潰瘍性大腸炎はストレス社会の産物であるという説があり、住み難い社会の中で勤勉にやっている人達が多く罹患する病気である。こんな社会にしたのは当然として政府の責任が大きい。論より証拠、患者は年々増加しているのだ。
学校や職場でのいじめ、幼児虐待、若年層の自殺、ストーカー、無差別殺人、ニート問題etc.
怠慢政治がもたらした社会問題は正に山積状態。
これでは安倍政権の行く先に「美しい日本」などは到底現れない。
  1. 2006/12/14(木) 11:05:01|
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伊豆ドライブ

12月6日(水)。久々にカメラを持って伊豆一周へ出掛けた。
先月のショップツーリングでは伊豆のワインディングを思いっきり走り込み、それはそれで十二分に満足したのだが、走りながら横目で見た戸田の海の色や、絶妙に雲と絡んだ富士山の姿がやたらと印象に残ってしまい、次は絶対カメラだ!と心に決めていたのだ。

5:20に自宅を出発し、東名の東京料金所を5:55に通過する。これで高速料金は半額だ。
秦野中井ICで下りると一般道を海側へ進み西湘バイパスに乗る。海を左に見ながら加速を続けるとバックミラーへ美しい朝焼けが映った。
――― ん〜〜、、きれいだ!
熱海を8:00ジャストに通過。そこから大凡1時間後、伊東の温泉街に到着。港の脇にあるデニーズで朝食をとる。注文したのはデニーズブレックファースト600円。スクランブルエッグ、トスサラダ、ソーセージ、ベーコン、パンが朝の胃袋にちょうどいい分量で盛り付けられている。アメリカンコーヒーを飲みながらこれをゆっくりと平らげていく。卵がふわっと焼き上げられていて美味しかった。
――― デニーズへ入ったのは何年ぶりだろう。実は何を隠そうデニーズジャパンは元の職場であり、それはそれは思い出深い会社なのだ。ここでは良い意味悪い意味を含め随分と社会勉強をしたものだ。入社当時はすかいらーく、ロイヤルホストに追いつけ追い越せの息吹が会社全体に吹き荒れており、そんな前向きな勢いに乗った私はどんなに辛い仕事でも明日を信じ一生懸命に取り組めたものだ。今更だが若かったなと思う。

平日でも比較的交通量の多い東海岸の道だが、ラッキーなことに車の流れは一度も滞ることなく、CDチェンジャーに挿入した6枚のお気に入りを大音量で流し続けたBMWのキャビンは正に走るカラオケBOXであった。
――― もう、最高!

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下田市街には昼前に到着。先回と同じ「開国下田みなと」へ車を置き、早速カメラを担ぎ街を一望できる下田公園へと向かった。季節柄薄いダウンを羽織っていたが、さすがに南国下田。東京よりは一段高く感じるその気温に、歩き進んでいけば背中や額が汗ばんでくる。坂を上るにつれ河口周りに広がる街の様子が見えてくる。
――― 下田は白いんだ!
これが偽りのない第一印象。
稲生沢川を中心に山々に挟まれた狭い土地には、白い色をした建物がぎっしりと建ち並んでいる。おまけに川に浮かぶ船も白いから本当に町全体が白く見えるのだ。これは街中を単に歩いているだけでは分らないことだ。
――― それにしてもよく歩いた…
知らない土地をあちこち眺めながら散歩するのは楽しいもの。あっという間に時間が経ってしまい、気が付けば足は棒のように。車まで戻ってもぐったりして直ぐに発進する気にはなれないから、缶コーヒーを飲みながら一服した。
今日の目的の一つである「戸田の夕陽」。大空はスカッと晴れ渡り、おまけに適度な雲も出ているから、さぞかしきれい夕焼けが見られるだろうと、一服後は大きな期待を胸に西海岸へと向かった。時間の関係で南伊豆へは回らずに、市街を北へ抜け婆娑羅峠越えで松崎へショートカットするコースを選んだ。松崎街道では追いかけてくる元気の良い軽自動車を振り切り、ハードサスの感触を大いに楽しむことができた。Mスポーツは実にナイスである!
時計を見ると13:30を少々回っており、さすがに腹が減ってきた。何度も訪れている馴染み深い松崎で飯となると、最高の干物を食べられる「民芸茶房」か、知る人ぞ知る味の店「パピヨン」しかない。民芸茶房は年末撮影会で宿泊する豊崎ホテルの食事処なので、今回はそこを避け迷わずにパピヨンへ入った。
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このパピヨンという店だが、数年前にBUELLのオーナーズミーティングが修善寺で行われたときに、お客さんと3人で立ち寄ったのが最初であり、その時に注文したしょうが焼きの味付けが後で忘れられなくなるほど印象的であったのだ。以来西伊豆へ訪れるときにはよく利用する馴染みの店となった。
オーナーと思われる女性が調理する色々な料理は、どれも基本がしっかりしていて外れメニュー等には一度も当たったことがない。今回注文したのはワンプレートにスパゲティーナポリタンと焼き飯風ピラフ、そしてミニサラダが盛り付けてある「ミックスランチ」(1,050円)。その味を一言で評すれば<超一級のB級グルメ>。皆さんも喫茶店で食べたナポリタンが思いのほか旨かったという経験はないだろうか?ここの味わいはずばり“それ”。味付けや調理法に基本がなければ絶対に出ない食感であり、オーナーのセンスが窺い知れる穴場的な店と言えよう。是非一度訪れてみては如何だろうか。
戸田に着いたのは16:00前。僅かだが既に西方の空に赤みが差している。期待を胸に待つこと40分。予定ではうっとりするような夕焼けが眼前に広がる筈だった。何しろそれが今回の目的でもあったのだから。
しかし待てど暮らせど赤みは増していかず、夜の帳ばかりが下りてくる。
――― ちっ! 今日は駄目だ。
素直に諦める。
写真道楽なんてものは、こんなことの繰り返しで成り立つものだ。
――― さて、帰るとするか…。
今日は良く走った。そして良く撮った。そうそう、良く歌った。
沼津ICへ向かう途中、R136から漆黒の駿河湾を見渡したとき、田子の浦製紙工場の明かりが何故か眩く感じてしまった。
  1. 2006/12/10(日) 08:08:08|
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