セブン&アイは、デニーズ全店舗の約2割に当たる約130店を、3年以内に順次閉鎖する方針を固めたという。私がデニーズ現役の頃は外食産業全体が加速度的な成長期にあり、現在のような低迷は当然思いも寄らぬことだから、正直なところ複雑な気持ちでいっぱいだ。原因は多岐に渡るのであろうが、振り返ってみれば成長期の頃から既に感じていた様々な疑問・不満の中にそれが潜んでいたような気がする。

最も懸念していたことは没個性化。1978年入社当時のデニーズは、『いらっしゃいませ、デニーズへようこそ!』のグリーティング、無料で何杯でもおかわりできるアメリカンコーヒー、氷の入っていないジュース、数々の卵料理法、オープンキッチン、手作り風ハンバーバー・サンドイッチetc.、昔からある既存のレストランとは正に一線を画くはっきりとした個性が感じられた。
ところがその後、年を追う毎に真意不明瞭なメニューの多様化が進んでいくのである。ラーメンが出てきたり、和食の定食セットが出てきたりと、CI等が全く感じられない“何でもあり”な戦略は個性を急速に萎ませていき、気がつけばデニーズ、すかいらーく、ロイヤルホスト、その他諸々との明確な差が見えなくなってしまったのだ。
こうなると悲しいかな、基本的調理レベルを低くして済むデニーズのクッキングシステムには、他社との正統派料理競争に際し、決して避けることのできない大きな力の差が立ちはだかるのである。
料理の作り込みに関しては間違いなくロイヤルホストが当時のファミレスの中で二歩程先行していた。特にパスタはイタリヤ物をツーオーダーするという懲りようで、デニーズの“うどん風スパゲティ”とは全く別物のプロ志向にあった。サラダドレッシング等も然りである。デニーズのサウザンアイランド、フレンチ等はいかにも“出来合い” だが、ロイヤルホストの人気ドレッシング・グリーンゴッテスは、舌触りや味わいも等も専門店レベルを持っていて、金を払ってまでも食べる意味合いを十二分に主張していた。この他カレーソースやシチューなどの煮込み類も同様である。元来デニーズショートオーダークックの育て方は、アメリカ流13週間マニュアルを基にしているので、世の中の標準的料理レベルを持ち出されたら端から勝負にはならない。
よってデニーズは独自の道を突き進むべきであった。それは料理屋ではなく、アメリカの文化を全面的に出す、コーヒーショップスタイルレストランの訴求である。
目先の戦局を好転させる為に、自らCIを崩していった一連のヨーカ堂的戦略は完全な失策だ。そもそもヨーカ堂グループにはPOSを駆使しての数値的戦略は得意としても、文化を上手に演出し、それを利潤へと導く術は無かったのかも知れない。
スパイシーなポークリンクソーセージ&サニーサイドアップ、どうやって食べるの?!
ホットローストビーフサンド、シンプル イズ ベストのハムエッグサンド、マックより絶対美味しいデニーズコンボ、オージュでガブッといただく
フレンチディップetc.これだけではない。黄色とオレンジ主体の内外装は、既存のレストランには絶対に見ることのない超個性色、そしてMDのユニフォームも、食器も、ソファーも、テーブルも、全ては明るく楽しいリアルアメリカを演出していたのだ。
今この外食産業不毛の時代にこそ、あの頃のデニーズがナイスかも知れない。
To be continued
- 2008/05/26(月) 13:22:36|
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田無店のUMであるJ村さんはとてもユニークな人だった。なんと仕事は気が向いたときにだけやり、あとは殆ど一日中遊んでいる。銀行入金等、一旦外出することがあれば、これがなかなかすぐには戻ってこない。恐らくパチンコか喫茶店で時間をつぶしていたのであろう。店が忙しいときでも滅多にフロントに出ることはなく、仮に出てきたとしても、ご案内を4〜5回もやれば裏へ引っ込んでしまう。こんな感じだから、アイドルタイムはバックヤードでMDとおしゃべりしているか、はたまた漫画を読み耽っているかである。
しかしそれでも従業員から総スカンを食らわないところが摩訶不思議であり、況してや若いバイト達には人気があるのだから驚きだ。正直なところ、彼と半年間一緒に仕事をやってきて得られたことは何一つないが、体験として?個々の人間の持つ魅力はいかんともしがたい?ということがおぼろげながらも分かった気がした。
J村さんの下にいたのがO橋さん、AM(アシスタントマネージャー/副店長)である。実直を絵に描いたような人柄で、J村さんとは180度違う世界に住む人。マネージャーの実務は全て彼から教わったもので、私にとっては恩人と言うべき人である。
様々なことを良く教えてくれたし、良く注意もしてくれた。座講、OJT問わず、スタッフ教育のハンドリング的な部分はO橋AMの仕事を横目で見ながら習得していったものだ。しかし残念なことに、その後彼はUMへと昇格したにも拘わらず、家業を継ぐという理由で突如退職してしまうのだ。組織にとっては力のある人材を失った事件であろう。
一方J村さんも知らずのうちに退職をしていたようで、風の噂によれば、どこか街場のレストランの支配人に収まったらしい。いやはや人生色々である。
マネージャー職になると管理職ならではの仕事が増える。その代表格がアルバイト採用時の“面接”だ。
クックをやっていた頃は、マネージャーが行うこの面接を、憧れを持って眺めていたものだ。
――― おっ、かわいい子だ! 俺だったら有無を言わず採用だな。
少々不謹慎だが、いかにも管理職ならではの仕事は、担当職から見ればストレートに格好が良かった。私もUMITに昇格したのだから、近々に採用面接をやらせてもらえるだろうと、期待は募る一方だった。
しかしこの“憧れのスタッフ採用面接”であるが、これが如何に重要な仕事であるかが、その後の体験を通して分かっていくのだ。
よく商売は<人・物・金>というが、サラリーマンであるデニーズのスタッフに「金」の使いようは管理枠外である。その点「物」は重要な対象だ。もちろん物のメインは食材である。納品検品、発注管理、ゴミ箱チェック、ポーションコントロール等々、コントローラブルなポイントは多岐に渡り、食材原価管理(フードコスト)はレストランビジネスの要と、昔からよく言われ続けてきたものだ。
先ずはリードクックとの綿密なコミュニケーション作りから始まるわけだが、それのみならずUM自らキッチンへ入り、リーチイン、ウォークイン、ドロアー等を積極的にチェックしなければ真の現況を掌握することは難しく、延いては正当な利益を生み出す手順を失うことにもなりかねない。
なかでもロス率低減とポーションコントロールは極めて重要なポイントになる為、絶対に手抜きはできない。
クック時代の話になるが、ディナータイムにホワイト(食パンのこと)を切らしてしまい、せっかく注文の入ったクラブハウスサンドを提供できなかったことがあったのだが、この一件を知ったUMから予想外の叱咤を受けてしまい、ずいぶんと落ち込んだのだ。メニューの品切れは絶対に起こしてはならない“デニーズの掟”があったから尚更だったのかもしれない。これに懲りた私は単純解決策として、翌日からパンの発注をやや多めにしたのである。しかし品切れは解消したものの、反面、パンの賞味期間切れは確実に増えていった。これをフォローすべく、スタッフのブレークタイムでは積極的に『トースト』を勧めたり、自分でも食事で取ったりはしたのだが、そんなレベルでは抜本的に解決できるわけもなく、かなりだぶついてきてしまった時などは、UMに見つからぬよう、そっとゴミ箱の奥深いところへ廃棄していたのである。今から思えばずいぶんと勿体ないことを続けていたものだ。もちろんゴミ箱からはこの他にも様々な事を発見できた。日曜のピーク時が過ぎれば、黒こげになったピザ、オーバークックしたハンバーグ、作り置きし過ぎたスピナッチソティーやFFなどが、相当量無造作に放り込まれていたし、能力のないクックがプリパレをやった後などは、まだ十二分に使えるレタスやキャベツの葉が大量に押し込まれていた。
このような自己の経験から、ゴミ箱チェックは欠かせない作業であり、スタッフ教育の一環としても大切な仕事だと学んでいったのだ
そしてポーションコントロール。
決められた量を限りなく正確に盛りつけたり仕込んだりすることは、フードコスト管理の基本であると同時に、チェーンレストランの根底といえるものである。来店する度に盛り付け量が違っていたり、同じデニーズなのに店によって味や盛り付けが違っていたら、これは会社の信用度に係わる問題になってしまう。
いつでもマニュアル通りの料理を出せるか否かは、その店個々のマネージメント力にかかっていると言って良く、
そのマネージメント力を司るのはUMの能力であり、管理運営者としての責務は非常に重いものなのだ。
デニーズ在籍中の9年間では、多数のマネージャー達と仕事をしてきたが、UMのやり方次第で恐ろしいほど店のレベルに差が出てくることを知った時、少なからずのショックを受けたのを今でも良く思い出す。
To be continued.
- 2008/02/28(木) 14:11:08|
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生理的にも好かない奴だったが、とにかくY木は毎日溌剌と仕事をしていた。この点については素直に感心する。UMITへ昇進したばかりだから、とにかく張り切っているのだろうが、彼の生き生きとした姿を見ていると、一日でも早くマネージャー職に就きたいとさえ思ってしまう。
ある日そのY木がニヤケ顔を更に増しながら話しかけてきた。
――― 今夜一緒に飯でも食おうぜ。
なに?! Y木の奴、一体何を企んでいるのだろう。しかし今となっては上司に当たる人間なので、彼の誘いとならばそう無下には断れない。もちろん気は進まなかったが、どんな話をしてくるかにも興味があったから、一応表面上では快諾した。
Y木が指定したレストランは、五日市街道沿いにある『マ・メゾン』。この界隈ではアベック御用達で通っている、とてもお洒落なレストランだ。特にチーズケーキは上品な味わいがあって評判がいいようだ。よって男二人で行くには多少微妙な感じがしないでもない。Y木の奴、ずいぶんと顔に似合わないところを知っている。
――― 俺がさUMでさ、お前がUMITでさ、やってみたいよな。
奴さん、席に着くといきなり始めやがった。
バカ言ってんじゃない。それは私が最も避けたいパターンなのだ。若しもそれが現実になったら、また転勤願いを出すことになる。何とまあ人の心を無視したDelicacyの欠片もない発言だろう。大体己の望むことを他人が早々に同調するわけがない。言っちゃ悪いが、Y木は人を使えない典型的な男だ。
奴の部下になる前に、いち早くUMにならなければ…。
これを機にマネージャー試験を強く意識するようになり、早速S根UMへもその旨を強力に働きかけた。
現在は定かではないが、当時デニーズの昇進パターンには決められた段階性があった。そして急速な出店ペースの煽りを受け、意欲がある者に対しては容易な後押しがあったように思う。
先ずは直属UMの推薦を貰って初めて受験のできる<マネージャー試験>でスタートだ。
これに合格すると担当職からの脱却が果たせ、新卒憧れのユニフォーム「赤ジャケ」を身にまとい、意気揚々とユニット・マネージャー・イン・トレーニング(UMIT)の職に就けるのだ。UMITはマネージャーの見習い職ではあるが、UMと共に、キッチン、フロント、バックヤードと、店全体の指揮を取っていく、重要な仕事を任される。
UMITでの実績を積み重ね、同時に運営・管理の手法を大凡マスターしたことが認められると、アシスタント・マネージャー(AM)への昇級チャンスがやってくる。因みにAMとは副店長のことである。
そしてAMは、UMITの数段上を行く“憧れポジション”だ。その意味合いは、UMITの赤ジャケからUM、つまり店長と同じ「黄ジャケ」を羽織れることに尽きる。この黄色のジャケットは基本的に母体であるイトーヨーカ堂のマネージャー職が身に付けるものと同様のものであり、デニーズ内部でも、ディストリクト・マネージャー(DM)、リージョナル・マネージャー(RM)など、幹部社員共通のユニフォームになっている。よって担当職からしてみれば、まさにステータスシンボルそのものとなっている。私もうなされるほどに着ジャケへの憧れが強かったことを覚えている。
AM時代に着実な評価を残せば、UMへの道が開かれる。
UMは名実共に店の頂点職であり、就任と同時に最高責任者としての責務を背負う。そしてその責務は堪らなく重いものだ。AMまでの評価は「仕事振り」や「人物評価」レベルで留まるが、当然の如くUMの評価は全て数字で行われる。例えAM職までは輝かしい評価と共に駆け上がってきた者でも、UMとなり店を任された後、肝心な売り上げを連続して落とそうものなら、確実に底辺送りとなり、出世レースからは完全に除外されてしまう。自分の事も含め、本当に多くの左遷を見てきたのだ。
しかし息つく暇もない重責を乗り越え続け、更に有無を言わせない数字を挙げられれば、その先には終に非組合員となるDM職が待っているのである。
S根UM及びH間DMの推薦をいただき、めでたくマネージャー試験に合格できたのは、立川店に配属されてから4ヶ月後のことであった。
その後晴れてUMITに登用され、配属されたのは、立川店よりはずっと自宅に程近い田無店だった。
マネージャー職の仕事が明日から始まると思うと、初出勤の前夜は本当に寝付かれないほど興奮したものだ。
そうそう、私が立川店を離れる数週間前に、あのY木にも辞令が出ていて、何と新店のAMに抜擢されていたのだ。このニュースは、ちょっと悔しかった。
その頃から東京都心部への出店計画に拍車が掛かってきて、オープンした店は何処も凄まじい売上げを見せていた。時はまさにファミレス黄金時代真っ只中であり、Y木が赴いた目黒の碑文谷店も例外には漏れず、それは壮絶と言ってもいいほどの売上げを記録し続けたのである。
唯この碑文谷店だが、現在のデニーズジャパン公式サイト内で店舗検索をしても店名が出てこないのだ。恐らく閉店したのだとは思うが、あれだけの繁忙店に一体どの様な経緯があったのだろう。
今から思へば、あのY木もかわいそうな男だったかもしれない。
激しい開店ラッシュは、店やスタッフ達に想像以上のストレスを与え、モラル高き社員達からは尽くやる気を奪い取り、店のCSは急速に低下していったのである。こんな酷い状況を目の前にしても、デニーズ本部はお茶濁しの単発的対処療法しか施そうとせず、それが為にパート・アルバイトの育成スケジュールに大きな歯止めが掛かってしまい、慢性的な人手不足は社員の長時間労働によって穴埋めされるという、もはや現況は最悪の一途を辿っていったのである。
社員にとってこれは実に辛いことであった。
デイシフト(6:30~15:30)のマネージャーは、ほぼ毎日モーニング、ランチ、ディナーの3ピークをこなすことが常態化されていたし、帰り際だって、山のように積み上げられた洗い物を横目で見ては通れない状況が続いていた。肝心な睡眠時間に至っては、1日3~4時間取ることができれば御の字の世界となっていた。
私も新天地・田無店では慣れない仕事の連続で余裕は殆どない状態にあった。だから当然Y木のことは意識の外だった。そんなある日、同僚との会話の中から、碑文谷店に“Y木がいない”ことを知ったのだ。
――― あいつ、辞めちゃったのかな。
どうでもいい奴だったが、会社から居なくなったことが分かると何ともいえない裏寂しさを覚えた。そしてその裏寂しさが、自分の将来へ対する不安に思えてならず、毎日は忙しくも楽しかったが、胸を圧迫する重苦しさが絶えず付きまとうようになっていた。ストレスが日に日に蓄積していく様が、なんとも不安でしょうがなかった。
To be continued.
- 2008/01/22(火) 08:29:33|
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店の駐車場へ着いても、すぐに車から降りられない。分かってはいるが気が重すぎた。よくよく考えた上での判断だが、土壇場へ来ても気持ちは揺れに揺れている。

意を決し入口のドアを開けると、
――― おはよーございます。
フロントにいたMDから明るく爽やかなグリーティングが投げかけられた。瞬間、自分だけが悩みの殻に閉じこもる負け犬で、周囲の健全な世界からは凄く遠いところに来てしまったことを痛感したのだ。なんとも情けない…。
ウェイトレスステーションの脇を通ると、既にRMは3番ステーションで待っていた。
徐に近づくと、先ずは昨日の一件を店長以下店のスタッフへ謝罪したいとの旨を伝え、バックヤードへ入った。キッチンを覗くと、Iさんが一人黙々とプリパレ(仕込み)を行っている。
私を見とめると、いつもの笑顔で、
――― どーしたのよ、昨日は。
平身低頭する。
――― マネージャーは銀行だから、RMと良く話をしてきな。
深々と頭を下げ、そのまま踵を返した。Iさんの優しい心遣いが、更に気の重さを増幅させたようだ。
――― 電話で概略は聞いたけど、君の気持ちは変わらないのか。
もう一度偽りのない今の気持ちを伝え、特に労働環境の酷さをぶちまけるように話してみた。
埼玉エリアは次から次へと出店が続き、新入社員は単なる道具として劣悪な環境をたらい回しにされているのは明白な事実なのだ。この点について地区の最高責任者であるRMの説明を聞きたかった。
――― 東京へ戻るか。
えっ?! 突然RMが放った言葉の意味が分からなかった。己を落ち着かせ、冷静になろうとした。東京は地元だし、埼玉と較べれば今のところの出店ペースは落ち着いている。よって仕事もじっくりとできるし、マネージャーの勉強もやり易い環境にあるのではないだろうか。決して悪くない条件だ。東京でもう一度一から出直せる…。
透かさずいつから戻してくれるのかと訊き返すと、
――― 2週間もあれば引継ぎができるだろう。
この言葉には自分でも驚くほどに反応し、咄嗟に口から出てきたのは、
――― お願いしたいのですが。
心の中では、してやったり!と拳を挙げていた。東京地区のどこへ飛ばされるかは定かでないが、現況より仕事らしい仕事ができることは確かであろう。地元で腰を据えてやれるのは願ってもないことだし、潜在的にはいつもそう望んでいた。Iさんやアルバイトの面々には後ろめたい気持ちでいっぱいだったが、このチャンスには是非とも飛びついてやろうと即断したのである。
そしてこの東京行きが、今後の
デニーズ生活の方向を決めてしまう、とても重要なターニングポイントになっていたのである。
――― 異動先は「立川」だ。
数日後、他地区から赴任してきた新UMのSさんにそう言われた。
あの“ひんしゅく店長”であるSUは、なんと埼玉エリア内の新店店長に抜擢され、それに伴う人事異動が急遽行われたのである。最後まで好きになれなかったギョロ目のSUではあるが、改めて彼も会社の道具なのだと認識すると、一方的だが急に距離が縮まったように思えた。サラリーマンは気楽な稼業とは一概に言えないかもしれない。
――― なんでこんなところに建てたのだろう。
立川店は首を傾げたくなるような場所にあった。初めて訪れた時など、五日市街道から一本南へ入ったマイナーな道沿いに忽然と建っていた同店を、不思議なものを見るような目で見てしまったほどだ。恐らく当時は、“知る人ぞ知る的な店”だったに違いない。
ここのマネージャーはS根さん。高卒のクック上がりで、ノンキャリの星とまで言われている切れ者UMだ。彼からは徹底的にSA(サービスアシスタント=ウェイター)の仕事を教わった。目配り、気配り、ご案内などの基本から、MDの基本教育のイロハまでを体系的且つ短期間に詰め込まれていったのである。
新しい知識は己を貪欲にさせ、仕事への積極性は日ごと増大していった。同じ
デニーズでも浦和太田窪店とは別世界であり、そこで大いに張り切る自分を見つけたのである。
立川店はアルバイトスタッフが十二分に揃っていた。キッチン、フロント、バックヤードが夫々にバランスよく配置されていて、S根UMによるマネージメント能力の高さが窺えた。皆安心して仕事をしているし、何より職場から笑顔が絶えない。これは接客サービス業の基本であり、絶えず追及しなければならない重要なポイントだ。
大凡順風満帆だった立川時代ではあったが、ちょっとしたエピソードもあった。
出勤初日。ちょっとドキドキしながらも元気に挨拶しバックヤードへ入っていくと、背後からいきなり声をかけられたのだ。
――― ひさしぶり!
振り向くと、そこにいたのは小金井北店時代に少しだけ一緒に仕事をしたY木だった。彼は私より歳は上だったが、中途入社してきて、まがいなりにもクックの仕事を教えてあげた“初の後輩”なのである。そのY木がネクタイをきりりと締め、赤いジャケットを身に纏っているではないか。つまりUMITである。後輩には違いないが、今では階級を逆転され上司となってしまったのだ。
くっ、先を越された! やっぱり東京地区はいい。ちゃんとした昇進のチャンスがあるのだから。万年二等兵で常に最前線へ送り込まれる埼玉とは大違いだ。
取りあえずこれからもよろしくと丁寧に挨拶すると、
――― まあ、頑張ってくれよ。
狐づらのY木は、言葉尻に明らかに“勝ち”を含んだ一声を、一応先輩社員の私に返してきたのである。
この時のことは今でもはっきりと覚えている。悔しいというか、ムカつくというか、とにかく嫌な思いをしたことは確かだ。しかし若かった私はパワルフだった。その屈辱感をバネにして、猛然と仕事をし勉強をしたのだ。
そして目標を立てた。
<近い将来、必ずY木を顎で使ってやる!>と。
To be continued.
- 2007/09/06(木) 21:32:50|
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実際に上司へ辞表を差し出す段になると、少なからずの緊張はする。面と向かって「やめてやる!」とは言えなかったので、先ずは電話で伝えることにした。
しかしダイヤルを回す直前になっても、心は揺れ続けていた。
――― 本当にこれでいいのだろうか…。
仕事自体嫌いではなかったし、寧ろレストランは素直に楽しい職場と感じていた。しかも入社して1年足らずのひよっ子に、本当の意味での決断材料があるのだろうか。しかし一度でも辞めると言ったら後にはひけない。考えれば考えるほど滅入ってくる。
――― もしもし、店長お願いします。
ついに掛けてしまった。
端的だが放ったように用件を告げると、SUからは、自分だけの考えでは判断できないので、RM(リージョナルマネージャー:大きな地区を管轄するお偉いさん)に相談するという答えが返ってきた。辞めるな、考えなおせ等の慰留の言葉は一つも出てこない。やっぱりSUである。
しかし退職を宣言したことによって、随分と気分が楽になった。
槍でも鉄砲でも持って来い!正にまな板の鯉である。後は会社側の返答を待つのみだ。
当日の遅番クックには悪かったが、その日は仕事を急遽休むことにした。冷静になったところで真剣に先々のことを考えたかったからである。次はどんな仕事をやろうか、はたまたこんなチャンスは二度とないから、ひと月位思いっきり羽を伸ばそうかとか、色々な考えが頭を駆け巡った。
大体仕事選びなんていうものは、基本的に博打だ。その仕事が自分に合っているかどうかなんて、実際にやってみなければ分からないし、ウマが合う組織かどうかだって、入社してみないことには分からない。

その日の午後、自宅へRMから直接電話が掛かってきた。
そして彼は開口一番こう言った。
――― 一体どうしたんだ。お前は線が弱いな〜、、
線が弱いなんて言われても困ってしまう。この結論は色々考えた挙句のものだ。
――― 店が嫌か?! 埼玉地区が嫌か?!
それはある。埼玉地区は出店ペースが速すぎて、担当社員に対しては地獄のエリアと化しているのだ。だからその点についてもストレートに言い放ってみた。もちろん頭にくるSUのことも。
――― お前の言いたいことは分かった。とにかく明日は出て来い。その点について直接話し合おう。
このままデニーズから去れると思ったが、まあ、しょうがない、明日は丸め込まれないよう充分注意しよう。
しかしお偉いさんへ言いたいことが思いっきり言えたので、ますます気分が楽になった。やはりこのように重大なことは、自分一人の胸にしまうことなく、然るべき人に打ち明けてみることも大切なことだと思った。
翌日家を出るとき、気は重かった。昨日は突然店を休んでリードクックのIさんに迷惑を掛けたからである。恐らく彼は “通し”をしたことだろう。“通し”とはフルシフトを勤務することである。朝6時半から夜の11時半までの全営業時間を働き通すのである。驚いた話だが、私が入社して2〜3年間は、この通しが会社公認としてごく日常的に行われていたのだ。当時の人員配置は、どのシフトにも必ずマネージャー及び正社員のクックが置かれるのが鉄則で、営業時間帯7-11の店には基本的にマネージャーが2名置かれているのだが、どちらか一方が休みの日には、必ずもう片方の出勤者に通しが発生することになる。
冷静に考えてもこれは酷い話であり、後年デニーズジャパンはこの問題を解決するにあたり、契約社員制度を導入する。
出勤すると真っ先にIさんのもとへ行き頭を下げた。自分の我侭を謝りたかったのだ。
Iさんは仕事に対して本当に厳しい人だったが、とにかく手取り足取り良く教えてくれた。教えてもらえることはこの上なく幸福なことだ。逆に教えられることもなく、唯放って置かれることほど不幸なことはない。どんどん仕事を覚えて知識と経験が蓄積していけば、自ずと活力とやる気が湧いてくる。
一般に勤め人の「Motivation低下」の主な原因は“教育がない”ことと“放任”されることだ。
この後、RMとの話し合いで思わずラッキーな方向へ進むことができたのである。
To be continued.
- 2007/07/04(水) 08:26:22|
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